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MICHELのスケジュール

変な子と呼ばれて ミッシェル・近藤の人生

吉永みち子著
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1950年埼玉県生まれ。東京外国語大学インドネシア語科卒。競馬専門誌「勝馬」記者、夕刊紙「日刊ゲンダイ」記者を経て結婚。5年の専業主婦の後『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。その後も自らの体験と豊富な取材に基づいたノンフィクションを数数発表している。現在テレビ朝日系「スーパーモーニング」月曜レギュラー。その他、障害者のための乗馬を推進するNPO「RDA Japan」で副理事長として活動するなど、幅広い分野で活躍している

筑摩書房・06月08日・714円・ISBN:4480687130


第1章 六本木の昼と夜
第2章 宿命の化粧、運命のピアノ(初めての女装は三歳;ミステリアスな性分化;ピアノとの出会いと封印;ボクと言えない男の子は「オトコオンナ」)
第3章 立ちはだかる世間の壁(音楽科の化粧した男子高校生;見える差別、見えない偏見;息子が消えていく…父の戸惑い)
第4章 ピアノを武器にアメリカで生きる(日本を捨てさせた大失恋;キリスト教国の厳しい現実;ニューヨークの光と翳り)
第5章 彼でも彼女でもない人(美しさへの執念;すべてを包み込む“アンタ”)



-信濃 太郎-

 ミッシェル・近藤に生き方

 「ミッシェル・近藤。年齢不詳、性別不詳。職業ピアニスト。うっすら髭の浮き出たスッピンに、スリムなパンツ。鮮やかな色のトレーナー。髪は金髪のショート。男性のようで男性ではない。女性のようで女性ではない」と、吉永みち子は表現する。その著書「変な子と呼ばれて-ミッシェル・近藤の人生」(筑摩書房)を読むと、化粧と女装を好む男性であり、年齢はは60歳を少し過ぎている。性格は常に前向きである。ピアノの腕前は抜群と思量する…と筆者は思った。大勢順応、付和雷同、世間体を考える日本社会ではさぞかし生きにくかっただろうと想像する。それでも小学校時代いじめにあわなかった。それは暴走族まがいの父親ガピアノのレッスンに連れてゆくため毎日のように迎えにきた。自分がこられない時には子分がきたので子供達が恐れをなしたからだ。性同一性障害の人のつまづきのもとをつくるのは学校生活でのいじめである。これを乗り越えたのはユニークな父親とドイツ人と日本人の間に生まれた母親のおかげである。その母親は普通の人ではなかった。高校(音楽科)に進学した息子が髪の毛を染めたというので学校側が母親を呼び出して注意した。母親の返答が見事である。「髪の毛の色が茶色くて何がいけない! 生徒手帖のどこに髪の毛を染めてはいけないと書いてあるんだ!高校生らしくとしか書いてないではないか。髪の毛が茶色と高校生らしくないとする根拠は何か・・・」。ピアノを習いだしたのは5歳のころからである。2歳半から始めたオルガンを卒業したあと個人レッスンを受ける。猛然と息子の送迎を励む父親を見た祖父母がへそくりをなげうって孫のために高価なピアノを買った。昭和20年代の話である。このころグランドピアノ(平型)36万円(昭和26年)、アップライトピアノ(竪型)17万8千円(昭和28年)もした。
 東京の音楽大学を出た後、スタジオミュージシャン、ピアニストとして仕事を始めたが、「化粧」「みなり」を問題にされた。華麗なテクニックも披露する場がない。失恋したこともあってアメリカに向う(1978年)。17年間も滞在することになる。ここは「思い切り青春した感じよ。刺激的だし、楽しかったし」であった。ウォルドルフ・アストリア・ホテルでピアノ演奏したり、レキシントン・ホテルで2度ピアノリサイタルを開いたりした。メイシーズともレギュラー契約し、オリンピックタワーの専属ピアノの一人にもなった。
 今、六本木にあるピアノバーやサパークラブなどでピアノを弾く。時に、オーケストラとの共演もある。自宅にはピアノがない。不便ではないという。「耳で聴く。楽譜を読む。それがそのまま指先から鍵盤に流れ出すようなのだ」。すごいと思う。詩でも俳句でも短歌でも目で聴いて風景となり、音楽となりそのまま書けば詩、俳句、短歌となれば最高である。
 この人の偉さは「自分がどう生きたいのかという問いに正面から向かいあったからだ」と思う。




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